会員校卒業生の体験「菓子づくりを仕事に選んでよかった!」

「パティシエになれたかな」

緑川 翔

「美術1」。中学1年の1学期末、5段階評価でのまさかの結果でした。楽しい夏休みを前に暗闇に突き落とされたような出来事でした。

色とりどりのきれいなケーキが並ぶパティスリー。芸術家のような作品を次々と創り上げるパティシエ。美術のセンスゼロだと思っていた僕がなぜこの世界に足を踏み入れたのか、とても不思議です。

大学進学を考え始めた時、将来の自分の姿、仕事が想像できませんでした。高校3年になってもその姿は浮かばず、でも、手に職をつけることがこれからの時代に役立つのでは、と思い始めていた時でした。クリスマスを前に数人のパティシエを取り上げたテレビ番組を目にしました。砂糖を煮詰めたものからツヤツヤのバラやリボンが出来上がる様子に驚愕しました。と同時に「これだ!」と思いました。そして翌年の4月には製菓学校の門をくぐっていたのでした。

1人暮らしをするため、夜はフランス料理店でアルバイトをしました。先輩方からは、レストランでの知識はもちろんのこと、おいしいものもご馳走になり、とても勉強になった1年間でした。さらに運良くこのお店にはパティスリー部門も併設されていました。アルバイトの休憩時間等を利用しよく工場を見学させていただきました。そこで出会った方々が今でも私の師であり、よき先輩達です。そのまま彼らに吸い込まれるかのように、入社に至りました。

さあパティシエ人生の始まりです。毎日ケーキを作ってお客さんに喜んでもらおう、美味しいと言ってもらおう、と胸を膨らませていました。しかし、待っていたのは理想と現実の大きすぎるくらいのギャップでした。

学校とは違い、手取り足取り懇切丁寧に扱ってはもらえません。もちろん最初はきちんと教えていただきましたが、なかなか1回で覚えられるほど簡単な作業ばかりではありませんでした。学校ではできたのに、頭では分かっているのに出来ませんでした。道具も扱う材料も分量も違いました。毎日怒鳴られました。師匠からは「見てないから出来ないんだ。」と言われました。見ているつもりなのに、上手くいかない。だから考えました。どこか自分と先輩の違いはないのか、小さなことでもなんでも。家に帰るとその日の作業を全て書き出しました。作業時間、成功、失敗、改善点、そして疑問。特に疑問はその日の帰り、もしくは次の日に先輩に聞きました。毎日同じ質問をしたこともあり嫌がられました。続けていくうちに、毎日怒鳴られていたのが2日に1回、3日に1回とだんだん減っていきました。

最初の2年位は楽しさよりも、辛さや苦しさの方が勝っていました。それでも休日前になるとよく先輩方とお酒を呑みに行き、お菓子のことやフランスへの夢、家のことなど語りに語りました。不満を漏らしたりしましたが、先輩にたしなめられ、新たに仕事への情熱を湧き上がらせました。いい意味でのライバル関係がいつの間にか作り上げられ、お互いに切磋琢磨しあい、どんどんお菓子作りにのめり込んでいきました。もっと新しい仕事がしたい、先輩の仕事をやってみたい、そのためにはどうすればいいのだろう、無我夢中でした。

3年目に入るとようやく工場全体の流れが見えてきました。ちょっぴり自信も出てきました。「自分のオリジナルケーキをお店に出したい!」と思い始め、無謀とも思えるお願いをしてみました。意外にも答えはOKでした。早速アイデアを練り込みレシピを書き上げました。数回手直しをされ、ようやく試作に取り掛かりました。自分一人で全てを作った初めてのケーキが出来上がりました。喜び勇んでシェフに味見をしてもらいました。OKでした。次に社長に新商品にする許可をもらいに行きました。結果はNGでした。良くない所を改善し、2回目、3回目。きっとシェフは社長がNGを出すことが分かっていたのでしょう。ようやく許可が出た時には5回の試作を数えていました。商品化決定です。うれしさと安堵でホッとしました。それから毎日売れ行きのチェックをしました。お客様の反応を伺いました。

その喜びが今でも私の中には鮮明に残っています。ひとつのお菓子を創り上げることの辛さ、苦しさ。その壁を乗り越えた時の爽快感。その全てが幾重にも重なり合ってしか見出せない仕事こそがパティシエの喜びなのではないのでしょうか。

日々お菓子と向き合えることの幸せを感じ今後も精進していきたいと考えます。

PAGETOP